ならぬことはならぬものです


まだPodcastをお聞きでない方はこちらからcropped-crohusamunesaisinn1.jpg

大河ドラマ八重の桜でも出てきた、会津藩の『什の教え』(教えが10個あるって意味じゃありません。武士の子供達が10人くらい集まって「什」というグループを作っていました。)

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

出典

出典 白虎隊の子供達も学んでました。あぁ白虎隊・・・泣けるぜ これ子供達が自分達で考えたんですって。

まさにカント的だなと思います。

ここに「薬物に手を出してはなりませぬ」も加えなければいけませんね。

理由をどうこう並べ立てるわけではなく、人間としてこのくらいのことできて当たり前でしょ?それともあなたは動物なんですか?って脅迫的に突きつけてくる感じ。ハラハラしますねw

出典

出典 分かるぜ!

これって、イスラム教のコーランやキリスト教の新約聖書のようなもので人間の行動を縛っているだけでいわゆる我々が思っている「自由」とは真逆のことのように思えますよね。

放送でお伝えしたようにカントさんは道徳法則に従うことで人間は「自由」になれると考えました。だからこそあんな詭弁を振り回してでも道徳法則の内側にいることが大切だと考えたんです。

なぜカントさんが道徳法則に従うことで自由になれると考えたかっていうところが一番面白いところなんですよね。

カントさんはまず動物と同じように快楽を求め、苦痛を避けようとしている時の人間は、本当の意味では自由に行動していないと言います。

我々が思っている自由はいろいろな商品がスーパーに並んでいてどれを選んでもいいし、それを適正な価格で購入できること。「選択」できること。を自由と呼んでいると思います。

しかし、カントさんに言わせればそんなものは自由ではないと。

なぜなら

そこで満たされる欲望はそもそも、自分自身が選んだものではないんです。

ああ喉乾いたぁぁ。。マジ暑い。。。自動販売機〜〜。。。あったあった。う〜ん何にしようかな〜。やっぱコーラかなぁ。。いやでもスプライトも捨てがたいなぁ。。

とかやってるのは、ただ欲望に従っているだけで、結果的にコーラを選んだとしてもそれはただの「好み」なんです。

コカコーラの自販機の広告を見て選ばされたのかもしれないし、先天的にコーラが好きだったのかもしれない。

でもカントさんにとってそれは重要ではなく、「好み」や欲望に従っている時の我々は自分で選んでいるのではなく、選ばされているんです。

ここで自律と他律という概念を考えます。

まぁ自律はいいと思うんですが、他律とは例えば私がスカイツリーから落ちてしまった時に、重力に逆らえずに急降下していく、この時私が自由に行動しているとは言えない。このような自然法則や自分で決めたこと以外の外的要因のことを言います。

例えば幼い頃のルフィがなぜそんなにトレーニングをしているのかダダンに聞かれたとして、「海賊になるためだ!」と言い、「なぜ海賊になりたいんだ?」「海賊王になるためだ!」「なぜ海賊王になりたいんだ?」「自由になるためだ!」「なぜ自由になりたいんだ?」

「肉をたくさん食うためだ!」

と答えたとしたらそれはカントさんに言わせれば自由ではない!まさに他律的に肉を食いたいという欲望に動かされているに過ぎない。ということです。

出典

出典 にーにー言ってるやつウソップの声

重力などの自然法則に従うことと同じ意味で、欲望に従っている、地球が回っていることと同じ意味で海賊王になりたいと言ってしまっているということですね。

さあこの自然法則や欲望に従わずに我々が自由になるにはどうすればいいか。

カントさんの答えは「理性」です。

自然法則や欲望や好みに逆らえるのは「理性」だけなのです。

暴飲暴食をしない、行きずりの異性とセックスしない、昼過ぎまで寝ない、

これは多くの動物にはできません。

犬が「待て」を出来るのは「理性」が働いているからなのか、こうすれば結果的に餌がもらえるということを考えるからなのかは分かりませんが、後者の場合カントさんは自律とは認めません。

カントさんも好みや欲望やに従うことが「悪いこと」だと言っているわけではありません。「自由ではない」と言ってるんです。カントさんだってうんこしますが、うんこしてる時自由だとは思わないですよね?まぁ快便の開放感はありますがw

カントさんが什の教えの最後の二つ(ものを外で食べるな、外で女と話すな)まで支持するかは分かりませんが、例えば什の教えを守ると決めたからには、「理性」に従って守り通すことで、欲望、好み、感情、偏見、利益、経験などの自然法則に逆らって自由に意思決定ができるようになると言っているわけです。

番組で紹介したネクタイのやり取りや、私が先輩からの飲みの誘いを断る理由も完全なる詭弁ですが、それを「良い」と言っているわけではなく、この自律の概念、「自分で決めた道徳法則」の内側にいるということが大事だよと言っているんですね。

この自分で決めたというのが一番大事なんですが、カントさんの分かりにくいところは、ここなんですよね。

自分で決めたっていうことであればそれぞれ好きなように道徳観を持っていいことになり、ベンサムさんのおはじきだろうがポケモンだろうが何でもいいじゃんって考えと一緒じゃね?って思ってしまうんですよね。

しかしカントさんは道徳法則は定言的に決まっているという。どういうことだ?

この辺りはまた追々取り上げていきます。

今回は何となくカントさんが考える自由、自律、他律の概念をお分かりいただければ嬉しいです。

最後に我々が思っている「自由」が本当に正義なのか

什の教えの逆バージョンを見てみましょうw

一、年長者の言ふことなんか聞かなくても構いませぬ
一、年長者には中指を立てても構いませぬ
一、嘘言をついても構いませぬ
一、卑怯な振舞をしても構いませぬ
一、弱い者をいぢめても構いませぬ
一、外で覚せい剤やろうが何しようが構いませぬ
一、野外だろうが人前だろうがセックスしても構いませぬ  

ならぬことなどありませぬ

って感じですかねw。

男も女も関係ない、フリーセックスで取っ替え引っ替え、売春OK、大麻もOKは本当に自由なんですかね?と考えさせられますね。

 


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