原発についてもう少し考えてみよう


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クロ風サムネ1 (1)

放送の中で幾つか原発に関する論点が見えてきた気がしますので、そこをもう少し一人で掘り下げて考えてみました。あえて極論を出すことで弁証法的にそこからアウフヘーベンが生まれるかという壮大な思考実験です!(ただの妄想・・・)

その前に、朝まで生テレビでの論争を小林よしのりさん(反原発)と池田信夫さん(推進派)がお互いのブログ上でもやりあってらっしゃるようなので、ちょっと見てみてください。小林さん 池田さん

読むのが面倒くさい方のために簡単にまとめておくと、

小林さん

昨夜の朝まで生テレビでよしりん先生が
「原発はリスクが極大になりすぎるんですよ」
と発言したら、池田信夫が
「それはリスクって言わないんですよ。
それはハザードって言うの! わかりますか?」
と、せせら笑うように言いました。
・・・中略
しかもよしりん先生は「全く一般の国民の感覚」
で言うと前置きして話しているのです。
・・・中略
そもそも、明日南海トラフ地震が起きても
おかしくないような状況にあって、
それでも「リスク(可能性)」は低いと
言い切れるのでしょうか?

うん、分かる分かる。

出典

出典 これを見れば明らかでしょ!?科学的根拠なんか崩壊してるぜ!・・・と言いたくなる。

続いて池田さん

リスク=ハザード×確率(頻度)だから、原発事故のリスクは交通事故より小さいのだ。

・・・中略

日常的には、人は確率を考えないで、最大の被害を最小化しているからだ。

・・・中略

東京都民の直面している最大のハザードは、首都直下地震で2万3000人が死亡することだ。これをゼロにするためには、政府がすべての東京都民に首都圏からの退避を命じる必要がある。

もちろん現実には、そんな政策はありえない。都民は地震で死ぬリスクをとって暮らしているのだ。ハザードを小さくする必要はあるので、ビルの耐震設計基準は強化され、都は防災対策に多額の予算を使っているが、その目的は死者をゼロにすることではなく、リスクに対してコストを最適化することだ。

完全なる功利主義の議論に立っていることが分かりますね。やはりかなり強力な議論だと思います。このリスク論に対して先ほどの地図を持ってきてもあまり意味がありません。この議論の本質は原発のリスクが高いか低いかはどうでもよくて、「他のことに関してはリスクを受け入れてるのになぜ原発だけがダメなんですか」ってことです。(いやホントはどうでもよくはないんですけど、あくまでも哲学的に考えるとってことですよ・・・)これに対抗するにはどんな議論が必要なのかもう一度整理してみましょう。

小林さんが仰ることはもちろん直感的には非常にうなづけますが、リスク論、功利主義と同じ土壌で戦ってしまっていると思うんです。

放送が終わった後みんなで話している時に、ジョン・スチュワート・ミルさんの「質の違いがある功利主義」なら反論できるんじゃないか?って議論になりました。ただ、これは放送でも言った通り、「人間の命を天秤にかけるべきじゃない」理論に立つことになってしまい、じゃあ首都直下型地震で人が死ぬリスクを取らずに首都圏の人は地方に疎開しろっていうんだな?って議論になってしまいます。南海トラフ地震が起こるリスクが高いからと言って高知県の海沿いの人は全員そこに住んではいけませんとはならないでしょうという議論に乗っかることになってしまうと思うんです。経済学的な反論もありましたね。人は経済でも死ぬんです。

更に環境論的批判。これもミルさん風に適用すると、原発のハザードによって例えば20km圏内が何十年も何百年も住めなくなってしまうとしましょう。しかし、全世界が脱原発して火力発電に移った時に、増えたCO2により温暖化することのリスクの方が環境に与える影響は大きいのでは?と反論されてしまうことは容易に想像できます。

事実、民主党鳩山政権下ではなんと言って原発を推進していたか。

CO2排出量を2020年までに25%削減する!そのために原発の割合を高める目標設定をしたんです。(現実的には毎年1基ペースで作っても足りないので、原発の寿命を40年から60年に伸ばさなきゃいけないとか言ってましたが、、、)

出典

出典 ・・・ですよね〜

これも持続可能社会とかっていう言葉とは離れていってしまう議論になっていき、結局原発のハザードと温暖化のリスクどちらが高いかというリスク論に乗らざるをえなくなります。原発で住めなくなるのが例え250km圏内だとしても、温暖化の影響は地球全体です。まぁこれは私が再生可能エネルギーでは無理だと思っているからですが、再エネだけでいけると考えてる方は違う結論が出るでしょう。以上のような理由から私は個人的にミルさん的な反論は無理があると思いました。

そこで、ロールズさんのリベラリズムを適用したわけですが、これも本当は限界があることを知っています。放送ではリベラリズムを紹介したかったのであえてこの論理で行きましたが、リベラリズムでも原発推進の議論ができます。説明が足りなかった点として、無知のヴェールの中の人々は自分が何者であるか「知らない」というマイナスの側面がある一方で、どんな人も全く等しく科学的な理論や社会システムや経済原理等のすべての知識を「知っている」というプラスの側面も持ち合わせているんです。そこで「平等な自由の原理」「格差原理」を選んだとしても、必ずしも反原発、脱原発の社会を選ぶとは限らないということです。簡単に言うと人間は最悪の事態は避けるように合理的に動くんだよと言いましたが、例えば池田さんのリスク論が正しいのであれば、それによって得られる便益やリスクを”正しく”理解していて、確率論も”正しく”解釈できるのであれば、必ずしも原発の隣に住むことが「最悪の事態」とは言えない可能性があるということです。現に世界中でそれを受け入れて暮らされている方がいらっしゃる。環境先進国の北欧諸国やフランスは原発の最先進国でもあります。その方々は合理的ではない方々なんでしょうか?

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出典 たまに原発のないデンマークを見習え的なことを言う人がいますが、デンマークはとにかく風が吹くんです!だから風力発電で相当いけるんですよね!羨ましい!

う〜んやはりリスク論はかなり強力に思えます。他に何かないでしょうか。

放送中だったか放送後だったか、ウジさんの仰ってた文明論的な批判を適用してみましょうか。やっぱり一人で考えるより色んな視点が入ってくるから議論は大切だと思います。

人間生きるためには生理的欲求が最低限あれば良いわけで、原発はそのために必要なのか?っていう非常に直感に訴える議論です。

これはマズローの法則ですね。

出典

出典 アブラハム・マズローさん アメリカ人

食えるようになったら、次は家を持って人が入ってこないようにして、次はちょっと偉くなりたいと思って、次は人に優しくしたくなって、最後に海賊王になりたくなるって感じです。(テキトー)

実は私は以前からマズローの法則には懐疑的なんです・・・なぜなら正にホッブス的なヒャッハーな世界を前提としているからです。そこに道徳や善や義が抜け落ちているからです。プラトンさんが言うように人たるもの真善美を追い求める欲求も生理的欲求と同じレベルで当然に持っていると思います。東日本大震災で自らの生理的欲求が脅かされているにも拘らず、略奪も起きず、皆さん規則正しく並んでいたことの説明がつかないと思います。おにぎりが一つしかなかったとして、自分が腹減って死にそうな時でも自分の子供におにぎりあげるでしょ。特攻隊で亡くなった人たちはなんで空母に突っ込んでいったんでしょうか。

ごめんなさい、話しがズレました。。ウジさんが言いたかったのはマズローの法則がどうこうというではなくて、生理的欲求があるのは事実で、原発はそれに反していないか?ってことですね。ハザードが起きてしまうと生理的欲求すら追求できなくなってしまう。そもそもそこまでして電気使う必要あるのか?これは文明論的な批判だと思います。(勝手に私がそう解釈しているだけで、ウジさんの言いたい本質とは違うかもしれません。)

ウルグアイの元大統領ムヒカさんが言っていたように別に原始時代に戻ろうとか言ってるわけじゃなくて、このままアメリカや日本のような消費社会を地球上の全ての人が行ったらこの惑星はどうなるでしょうか?呼吸するための酸素が残ると思いますか?車を買ってローンを払い続けるために働いて気がついたらおじいちゃんで子供の相手もできなかった。あなたに今必要なのは子供と向き合うこと、恋人と時間を過ごすことです。「我々はマーケットを再びコントロールしなければなりません。」という誰もがうなづける議論です。

改めてムヒカさんの動画を見ていて、正にカント的だなぁと思いました。

幸せとは物を買うことと勘違いしているからだよ。幸せは人間のように命あるものからしかもらえないんだ。物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるのは生き物なんだ無駄遣いしたりいろんな物を買い込むのが好きじゃないんだ。その方が時間が残ると思うから。もっと自由だからだよ。なぜ、自由か?あまり消費しないことで大量に購入した物の支払いに追われ、必死に仕事をする必要がないからさ。根本的な問題は君が何かを買うとき、お金で買っているわけではないということさ。そのお金を得るために使った『時間』で買っているんだよ。請求書やクレジットカードローンなどを支払うために働く必要があるのなら、それは自由ではないんだ。

やっぱり好きだわぁムヒカさん。カントさんとはアプローチは違いますけど自由について語っていますね。これはカントさんが指摘していた、ただ物を買いたいという欲望に従ってしまっているだけで、決してそれは自由じゃないんだっていうことと通ずるものがあると思います。つまり文明論的な論点もカント的な要素があって感情には強く訴えるんですが、これは以前から言っている通り実はかなり危険性を孕んでいます。

はい、ここから極論を展開しますw

欲望に従わずに道徳的に生きる、そのためにマーケットをコントロールする、そのために企業を国有化する。という流れになりやすくて、ベネズエラでもチャベス大統領のときはそれでも良かったけど、石油依存から抜け出せずに現在では財政破綻の危機に立っています。

文明論的批判の最たるものはカンボジアのポルポトです。金持ちが悪いんだ!こんな便利なものばっかりあるからいけないんだ!知識があるからいけないんだ!って言って、学校を全廃、あらゆる知識人をメガネをかけているってだけで虐殺して、140万人もの無辜の命を奪う結果となりました。

出典

出典 ムヒカさんが「原始時代に戻ろうと言うのではありません」って言ってたのは多分ポルポト批判です。彼は原始共産制を目指してました(怖過ぎる)

まぁそんな極端な例を出さずとも、カント的な論理だと、結果を考えないので、例えば車がなかったとして、現代よりも格段に物流が阻害されます。物流が滞れば今いる人々に資源が行き渡らなくなります。トラクターがなければ生産性は格段に落ちます。生産性が落ちれば食料も減ります。食料が減れば現在の人口は維持できないという事態に陥りかねないわけです。

現代社会では廃棄される食料がたくさんあります。悲しいことです。でもそれは生産性が高いからであって、更に生産性を高めるために物流の技術革新が進めば、アフリカの子供たちにも食料を届けられる可能性もあるんだと思うんです。

廃棄される食料があるから生産性を減らしましょうっていう議論は本末転倒なことになりかねないと思うんです。もう生産性=人の命と考えても差し支えないと思っています。

人間そんなに躍起になって働く必要はないんじゃないかという文明論的な批判に乗るのであれば、現在の地球上の人口は維持できなくても構わないという議論になってしまいかねない。持続可能な社会とは真逆に作用する可能性があります。(これはいろんな反論が予測できますが・・・)

環境論的な批判のもう一つの側面もそうです。先ほどのミルさん的な功利主義で考えるのではなく、「環境」そのものを普遍的な価値として置くということです。環境を守ろうっていうスローガンは素晴らしいんですが、一体どこまで許容して何をしたらダメなんですかっていう線引きが難しい。山を切り崩して家を建てるのがダメなら、海を埋め立てちゃいけないなら、日本で今の人口が住めるところないんですけど?ってなっちゃう。

環境論的批判の最たる例がジオン・ズム・ダイクンですね。(いきなりガンダムw)

出典

出典 シャアのお父さんです。

増えすぎた人口を宇宙に移して、コロニー生活をしてたら宇宙に適応したニュータイプに目覚めてしまって「これめっちゃええやん」ってなって、「ほらみんな宇宙きたらめっちゃええで」って言って、汚染されていく地球を守るためにも全人類を一度宇宙に上げる必要があるって提唱したんですが、地球の「重力に縛られた人々」は、んなこと言っても地球が壊れるわけじゃねーしみたいなこと言ってたもんだから地球圏との抗争をしようってなっていくと。ダイクンが生きていた頃はそんなに過激な思想じゃなかったんだけど、彼がザビ家に暗殺されてしまって、ジオン軍が乗っ取られた結果、人類には苦い薬が必要だとか言ってコロニーを地球に落とすと。そして人類は自らの行いに恐怖するわけですね。

出典

出典 シドニーに落ちたらしいです。

まぁシャアもアクシズ落とそうとしたからもともとダイクンも考えてたのかもしれないですけど。

これはあくまでも架空の話しですが、突き詰めるとダイクンが提唱した理念は正義であったと思うんです。しかし結果はどうでしょうかということです。

出典

出典 ・・・・・だいぶ前から原発関係なくなっちゃたよ!w

まぁ本当に極端過ぎて、民主主義からヒトラーが出てきたから民主主義はダメだ並みの暴論なんですが、カンボジアの悲劇は事実としてあったことだし、ガンダムの世界も全くの夢物語とも言い切れない気がするんですよね。あくまでも考えるきっかけとしてお出ししました。

つまり今回の命題はリスク論には乗らずに、別の議論で原発に反対してみようってことだったんですけど、どうでしょう?この中からアウフヘーベンは生まれそうですか?

実はすでにこの中に答えめいたものはいくつもあると私は思っています。

もちろんそのまま適用はできないんですが、文明論や環境論、功利主義もそうですけど、ウジさんが言っていたようにこれも極端な方向に行かないようにすることが大事ですよね。福沢諭吉もアリストテレスも言っていましたがやっぱり中庸が大事ってことです。ムヒカさんやダイクンの時はいいんですが、ザビ家やポルポトのような人間に政権を取らせないように我々がしっかりと考えていく必要があるんだと思うんです。でもこの中庸はどうやって決めるんですかね〜・・・

実はかなりこれが答えに近いと思っていて、ごくごく簡単に言うと

「みんなで話し合ってそうなったなら、そうすりゃいんじゃない?」

って感じですw

なんでこうなるのかまで書きたかったですけど、疲れてきたので改めて紹介したいと思います!


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