原発についてもう少し考えてみよう

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クロ風サムネ1 (1)

放送の中で幾つか原発に関する論点が見えてきた気がしますので、そこをもう少し一人で掘り下げて考えてみました。あえて極論を出すことで弁証法的にそこからアウフヘーベンが生まれるかという壮大な思考実験です!(ただの妄想・・・)

その前に、朝まで生テレビでの論争を小林よしのりさん(反原発)と池田信夫さん(推進派)がお互いのブログ上でもやりあってらっしゃるようなので、ちょっと見てみてください。小林さん 池田さん

読むのが面倒くさい方のために簡単にまとめておくと、

小林さん

昨夜の朝まで生テレビでよしりん先生が
「原発はリスクが極大になりすぎるんですよ」
と発言したら、池田信夫が
「それはリスクって言わないんですよ。
それはハザードって言うの! わかりますか?」
と、せせら笑うように言いました。
・・・中略
しかもよしりん先生は「全く一般の国民の感覚」
で言うと前置きして話しているのです。
・・・中略
そもそも、明日南海トラフ地震が起きても
おかしくないような状況にあって、
それでも「リスク(可能性)」は低いと
言い切れるのでしょうか?

うん、分かる分かる。

出典

出典 これを見れば明らかでしょ!?科学的根拠なんか崩壊してるぜ!・・・と言いたくなる。

続いて池田さん

リスク=ハザード×確率(頻度)だから、原発事故のリスクは交通事故より小さいのだ。

・・・中略

日常的には、人は確率を考えないで、最大の被害を最小化しているからだ。

・・・中略

東京都民の直面している最大のハザードは、首都直下地震で2万3000人が死亡することだ。これをゼロにするためには、政府がすべての東京都民に首都圏からの退避を命じる必要がある。

もちろん現実には、そんな政策はありえない。都民は地震で死ぬリスクをとって暮らしているのだ。ハザードを小さくする必要はあるので、ビルの耐震設計基準は強化され、都は防災対策に多額の予算を使っているが、その目的は死者をゼロにすることではなく、リスクに対してコストを最適化することだ。

完全なる功利主義の議論に立っていることが分かりますね。やはりかなり強力な議論だと思います。このリスク論に対して先ほどの地図を持ってきてもあまり意味がありません。この議論の本質は原発のリスクが高いか低いかはどうでもよくて、「他のことに関してはリスクを受け入れてるのになぜ原発だけがダメなんですか」ってことです。(いやホントはどうでもよくはないんですけど、あくまでも哲学的に考えるとってことですよ・・・)これに対抗するにはどんな議論が必要なのかもう一度整理してみましょう。

小林さんが仰ることはもちろん直感的には非常にうなづけますが、リスク論、功利主義と同じ土壌で戦ってしまっていると思うんです。

放送が終わった後みんなで話している時に、ジョン・スチュワート・ミルさんの「質の違いがある功利主義」なら反論できるんじゃないか?って議論になりました。ただ、これは放送でも言った通り、「人間の命を天秤にかけるべきじゃない」理論に立つことになってしまい、じゃあ首都直下型地震で人が死ぬリスクを取らずに首都圏の人は地方に疎開しろっていうんだな?って議論になってしまいます。南海トラフ地震が起こるリスクが高いからと言って高知県の海沿いの人は全員そこに住んではいけませんとはならないでしょうという議論に乗っかることになってしまうと思うんです。経済学的な反論もありましたね。人は経済でも死ぬんです。

更に環境論的批判。これもミルさん風に適用すると、原発のハザードによって例えば20km圏内が何十年も何百年も住めなくなってしまうとしましょう。しかし、全世界が脱原発して火力発電に移った時に、増えたCO2により温暖化することのリスクの方が環境に与える影響は大きいのでは?と反論されてしまうことは容易に想像できます。

事実、民主党鳩山政権下ではなんと言って原発を推進していたか。

CO2排出量を2020年までに25%削減する!そのために原発の割合を高める目標設定をしたんです。(現実的には毎年1基ペースで作っても足りないので、原発の寿命を40年から60年に伸ばさなきゃいけないとか言ってましたが、、、)

出典

出典 ・・・ですよね〜

これも持続可能社会とかっていう言葉とは離れていってしまう議論になっていき、結局原発のハザードと温暖化のリスクどちらが高いかというリスク論に乗らざるをえなくなります。原発で住めなくなるのが例え250km圏内だとしても、温暖化の影響は地球全体です。まぁこれは私が再生可能エネルギーでは無理だと思っているからですが、再エネだけでいけると考えてる方は違う結論が出るでしょう。以上のような理由から私は個人的にミルさん的な反論は無理があると思いました。

そこで、ロールズさんのリベラリズムを適用したわけですが、これも本当は限界があることを知っています。放送ではリベラリズムを紹介したかったのであえてこの論理で行きましたが、リベラリズムでも原発推進の議論ができます。説明が足りなかった点として、無知のヴェールの中の人々は自分が何者であるか「知らない」というマイナスの側面がある一方で、どんな人も全く等しく科学的な理論や社会システムや経済原理等のすべての知識を「知っている」というプラスの側面も持ち合わせているんです。そこで「平等な自由の原理」「格差原理」を選んだとしても、必ずしも反原発、脱原発の社会を選ぶとは限らないということです。簡単に言うと人間は最悪の事態は避けるように合理的に動くんだよと言いましたが、例えば池田さんのリスク論が正しいのであれば、それによって得られる便益やリスクを”正しく”理解していて、確率論も”正しく”解釈できるのであれば、必ずしも原発の隣に住むことが「最悪の事態」とは言えない可能性があるということです。現に世界中でそれを受け入れて暮らされている方がいらっしゃる。環境先進国の北欧諸国やフランスは原発の最先進国でもあります。その方々は合理的ではない方々なんでしょうか?

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出典 たまに原発のないデンマークを見習え的なことを言う人がいますが、デンマークはとにかく風が吹くんです!だから風力発電で相当いけるんですよね!羨ましい!

う〜んやはりリスク論はかなり強力に思えます。他に何かないでしょうか。

放送中だったか放送後だったか、ウジさんの仰ってた文明論的な批判を適用してみましょうか。やっぱり一人で考えるより色んな視点が入ってくるから議論は大切だと思います。

人間生きるためには生理的欲求が最低限あれば良いわけで、原発はそのために必要なのか?っていう非常に直感に訴える議論です。

これはマズローの法則ですね。

出典

出典 アブラハム・マズローさん アメリカ人

食えるようになったら、次は家を持って人が入ってこないようにして、次はちょっと偉くなりたいと思って、次は人に優しくしたくなって、最後に海賊王になりたくなるって感じです。(テキトー)

実は私は以前からマズローの法則には懐疑的なんです・・・なぜなら正にホッブス的なヒャッハーな世界を前提としているからです。そこに道徳や善や義が抜け落ちているからです。プラトンさんが言うように人たるもの真善美を追い求める欲求も生理的欲求と同じレベルで当然に持っていると思います。東日本大震災で自らの生理的欲求が脅かされているにも拘らず、略奪も起きず、皆さん規則正しく並んでいたことの説明がつかないと思います。おにぎりが一つしかなかったとして、自分が腹減って死にそうな時でも自分の子供におにぎりあげるでしょ。特攻隊で亡くなった人たちはなんで空母に突っ込んでいったんでしょうか。

ごめんなさい、話しがズレました。。ウジさんが言いたかったのはマズローの法則がどうこうというではなくて、生理的欲求があるのは事実で、原発はそれに反していないか?ってことですね。ハザードが起きてしまうと生理的欲求すら追求できなくなってしまう。そもそもそこまでして電気使う必要あるのか?これは文明論的な批判だと思います。(勝手に私がそう解釈しているだけで、ウジさんの言いたい本質とは違うかもしれません。)

ウルグアイの元大統領ムヒカさんが言っていたように別に原始時代に戻ろうとか言ってるわけじゃなくて、このままアメリカや日本のような消費社会を地球上の全ての人が行ったらこの惑星はどうなるでしょうか?呼吸するための酸素が残ると思いますか?車を買ってローンを払い続けるために働いて気がついたらおじいちゃんで子供の相手もできなかった。あなたに今必要なのは子供と向き合うこと、恋人と時間を過ごすことです。「我々はマーケットを再びコントロールしなければなりません。」という誰もがうなづける議論です。

改めてムヒカさんの動画を見ていて、正にカント的だなぁと思いました。

幸せとは物を買うことと勘違いしているからだよ。幸せは人間のように命あるものからしかもらえないんだ。物は幸せにしてくれない。幸せにしてくれるのは生き物なんだ無駄遣いしたりいろんな物を買い込むのが好きじゃないんだ。その方が時間が残ると思うから。もっと自由だからだよ。なぜ、自由か?あまり消費しないことで大量に購入した物の支払いに追われ、必死に仕事をする必要がないからさ。根本的な問題は君が何かを買うとき、お金で買っているわけではないということさ。そのお金を得るために使った『時間』で買っているんだよ。請求書やクレジットカードローンなどを支払うために働く必要があるのなら、それは自由ではないんだ。

やっぱり好きだわぁムヒカさん。カントさんとはアプローチは違いますけど自由について語っていますね。これはカントさんが指摘していた、ただ物を買いたいという欲望に従ってしまっているだけで、決してそれは自由じゃないんだっていうことと通ずるものがあると思います。つまり文明論的な論点もカント的な要素があって感情には強く訴えるんですが、これは以前から言っている通り実はかなり危険性を孕んでいます。

はい、ここから極論を展開しますw

欲望に従わずに道徳的に生きる、そのためにマーケットをコントロールする、そのために企業を国有化する。という流れになりやすくて、ベネズエラでもチャベス大統領のときはそれでも良かったけど、石油依存から抜け出せずに現在では財政破綻の危機に立っています。

文明論的批判の最たるものはカンボジアのポルポトです。金持ちが悪いんだ!こんな便利なものばっかりあるからいけないんだ!知識があるからいけないんだ!って言って、学校を全廃、あらゆる知識人をメガネをかけているってだけで虐殺して、140万人もの無辜の命を奪う結果となりました。

出典

出典 ムヒカさんが「原始時代に戻ろうと言うのではありません」って言ってたのは多分ポルポト批判です。彼は原始共産制を目指してました(怖過ぎる)

まぁそんな極端な例を出さずとも、カント的な論理だと、結果を考えないので、例えば車がなかったとして、現代よりも格段に物流が阻害されます。物流が滞れば今いる人々に資源が行き渡らなくなります。トラクターがなければ生産性は格段に落ちます。生産性が落ちれば食料も減ります。食料が減れば現在の人口は維持できないという事態に陥りかねないわけです。

現代社会では廃棄される食料がたくさんあります。悲しいことです。でもそれは生産性が高いからであって、更に生産性を高めるために物流の技術革新が進めば、アフリカの子供たちにも食料を届けられる可能性もあるんだと思うんです。

廃棄される食料があるから生産性を減らしましょうっていう議論は本末転倒なことになりかねないと思うんです。もう生産性=人の命と考えても差し支えないと思っています。

人間そんなに躍起になって働く必要はないんじゃないかという文明論的な批判に乗るのであれば、現在の地球上の人口は維持できなくても構わないという議論になってしまいかねない。持続可能な社会とは真逆に作用する可能性があります。(これはいろんな反論が予測できますが・・・)

環境論的な批判のもう一つの側面もそうです。先ほどのミルさん的な功利主義で考えるのではなく、「環境」そのものを普遍的な価値として置くということです。環境を守ろうっていうスローガンは素晴らしいんですが、一体どこまで許容して何をしたらダメなんですかっていう線引きが難しい。山を切り崩して家を建てるのがダメなら、海を埋め立てちゃいけないなら、日本で今の人口が住めるところないんですけど?ってなっちゃう。

環境論的批判の最たる例がジオン・ズム・ダイクンですね。(いきなりガンダムw)

出典

出典 シャアのお父さんです。

増えすぎた人口を宇宙に移して、コロニー生活をしてたら宇宙に適応したニュータイプに目覚めてしまって「これめっちゃええやん」ってなって、「ほらみんな宇宙きたらめっちゃええで」って言って、汚染されていく地球を守るためにも全人類を一度宇宙に上げる必要があるって提唱したんですが、地球の「重力に縛られた人々」は、んなこと言っても地球が壊れるわけじゃねーしみたいなこと言ってたもんだから地球圏との抗争をしようってなっていくと。ダイクンが生きていた頃はそんなに過激な思想じゃなかったんだけど、彼がザビ家に暗殺されてしまって、ジオン軍が乗っ取られた結果、人類には苦い薬が必要だとか言ってコロニーを地球に落とすと。そして人類は自らの行いに恐怖するわけですね。

出典

出典 シドニーに落ちたらしいです。

まぁシャアもアクシズ落とそうとしたからもともとダイクンも考えてたのかもしれないですけど。

これはあくまでも架空の話しですが、突き詰めるとダイクンが提唱した理念は正義であったと思うんです。しかし結果はどうでしょうかということです。

出典

出典 ・・・・・だいぶ前から原発関係なくなっちゃたよ!w

まぁ本当に極端過ぎて、民主主義からヒトラーが出てきたから民主主義はダメだ並みの暴論なんですが、カンボジアの悲劇は事実としてあったことだし、ガンダムの世界も全くの夢物語とも言い切れない気がするんですよね。あくまでも考えるきっかけとしてお出ししました。

つまり今回の命題はリスク論には乗らずに、別の議論で原発に反対してみようってことだったんですけど、どうでしょう?この中からアウフヘーベンは生まれそうですか?

実はすでにこの中に答えめいたものはいくつもあると私は思っています。

もちろんそのまま適用はできないんですが、文明論や環境論、功利主義もそうですけど、ウジさんが言っていたようにこれも極端な方向に行かないようにすることが大事ですよね。福沢諭吉もアリストテレスも言っていましたがやっぱり中庸が大事ってことです。ムヒカさんやダイクンの時はいいんですが、ザビ家やポルポトのような人間に政権を取らせないように我々がしっかりと考えていく必要があるんだと思うんです。でもこの中庸はどうやって決めるんですかね〜・・・

実はかなりこれが答えに近いと思っていて、ごくごく簡単に言うと

「みんなで話し合ってそうなったなら、そうすりゃいんじゃない?」

って感じですw

なんでこうなるのかまで書きたかったですけど、疲れてきたので改めて紹介したいと思います!

哲人ウジー誕生?ジャック・デリダさん

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クロ風サムネ1 (1)

この本を改めて読み直していたら、哲学者ジャック・デリダさんがTボーン大佐ことウジさんと同じことを難しく言っていましたw

出典

出典 ジャック・デリダさん フランス人  またウジさんがフランスネタで調子に乗りそうですねw デリダさんかっこいいし。 ちなみにアルジェリア出身のユダヤ系フランス人だそうです。

他者への施しは究極の自己満足だって言ってた、恩送りコーヒーの下りですね。これです。

ウジさんの言葉を借りると、「自己満足でない他者への施しなんて存在しない。それができるのは神のみである。人間最後はいかに満足するかでしょ。」ってことですね。

そしてこれは以前のブログで紹介した通り、一見カント的な定言命法とは相容れない。つまり不正義となってしまいかねない可能性があります。イスラム教でもそうでしたよね?他者への施し、ザカート(喜捨)は「義務」なんです。キリスト教でも他者への慈悲、シャツを取られたらズボンをあげることは無条件で「行わなければならないこと」でした。それを自己満足のためと言ったら不正義になりかねないと。

しかし、デリダさんはウジさんと同じように、カント的な定言命法や正義論はそもそも「無茶だ」と言っています。哲学用語では「アポリア」と言います。

アポリアは哲学的難題または問題の中の一見解明できそうにない行き詰まりのことで、もっともらしいが実は矛盾している前提の結果として生じることが多い。さらにアポリアは、そうした難題・行き詰まりに困惑させられた、つまり途方に暮れた状態のこともいう。引用wiki

デリダさんは3つ程カントさんの矛盾点について指摘をしています。ここは読み飛ばしてもらってもいいです。

第一のアポリア(矛盾点)規則の適用

カントさんは正義が行われるには人は自由で自律していなければならないと言ってましたが、例えば裁判官を例にとってみましょう。裁判官の判決が正義であるためには、自由な決断を下す必要があることになりますが、裁判官という性質上、当然に法や規則に従う義務がある。裁判官が正義の裁きを行うためには、「規制されながらも同時に規制されない状態でなければならない」ことになるので、これは不可能だと。

第二のアポリア 決断不可能性

仮に裁判官が自由に決断を下したとしましょう。でもそれが本当に裁判官自身が外的要因、他律的要因を排除して自由に判決を下したと誰が判断できるだろうかと。例えば相手が嫌いなタイプの顔だったり、女性裁判官なら女の子の日で機嫌悪かったり、こうしなきゃ世論の反発を招きそうだなとか結果から考えてしまっていたりした場合はカントさん的には正義と言えないはずだが、デリダさんから言わせると真の意味での「決断」なんてものは無理なんですよ〜。常に人間なんらかの外的要因を受けますよねってことです。

第三のアポリア 切迫性

これは良く分かんなかったです・・・。一応書いておくと正義が遂行されるためには決断を求められたら即座に、今この瞬間に決断を下さなければならない。(ここが分かんない。なぜ即座に下さなきゃならないんだ?そりゃ早い方がいいとは思うけど、カントさんと関係なくね?)しかし、それが正義の決断であるためには、もっと時間と調査が必要であるだろうウンヌン・・・。。。。つまり、決断は求められたらすぐにしなきゃいけない、時間をかけてじっくり考える時間もないから正しい決断なんかできるわけないだろ?ってこと。

 

最後ここが重要!

贈与のアポリア

デリダさんは正義の議論には常に上記のような三重のアポリア(哲学的矛盾点)があって、それは純粋な贈与が不可能なことと同じ意味で、正義にも不可能性があると言っています。ウジさんが言ったように他者への施しや、贈与が本当の意味で、カント的な意味で贈与であるためには、何の見返りも求めてはいけないことになり、自己満足することもダメ、回り回って自分のためになることを期待してもダメ、相手が喜ぶかどうかを考えることもダメってことになってしまうと。しかし、そんなもんは現実的にできっこない「無茶」な話しですと。

ほらなんか難しいこと色々言ってるけど、結果ウジさんが言ってたことと一緒でしょ?w

もう贈与のウジリアと名付けましょう。・・・ウジのアポリアの方がいいのか?

ウジさんにこの話をしたら、「本来感覚的に分かるはずのことなんだけど、目を背けてるんじゃないか?それか別のノイズが入っているか。そこに気付けるということが他の動物と違う部分だったり、人間たる証なのかもねー」と哲学的なことをおっしゃってました!確かに!そうだと思う。

おそらくカントさんはこのウジリアに気がついていたけど、あえて見て見ぬ振りをしたんでしょう。前回ブログに書いた通り、サンデル教授はこの点でカントさんをかばっていました。カントさんは結果は関係ないから結果的に自己満しようが道徳法則に逆らったことにはならないってやつですね。

でもまさかこうやってみんなと哲学することができる日が来るなんて!単純に楽しいぜ!(自然法則に従ってしまっている?w)

あっ下北だし、恩送りに行ってみよう〜。皆さんも是非恩を送りに行ってみて下さい!

出典

出典 やなかコーヒー店 下北沢店 東京都世田谷区2−33−6

自由ってなんだろう

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新党名『日本ヒャッハー党』が決定したことを記念して、「ヒャッハー」とは何か、自由とは何かを改めて考えてみましょう!

ヒャッハーとは

「ヒャッハー!」 とは、無法状態となっている状況、極悪人となって暴れまわっている状態、あるいはそういう状態に自ら堕ちること

引用

だそうです。

確かに強行採決反対の時の小西議員のダイブや、ババア議員がセクハラだとか言ってたのは正にヒャッハーでしたねw

出典

出典 その後ヒゲの佐藤隊長に撃退されたことは言うまでもありません・・・

出典

出典 マジでどっちもどっち。。これで自民党だけの文句を言ってる人の神経が分からない。。

まぁでも議会制民主主義がなかったら、これで殺し合いしてたんですから、いい時代になりましたよ。SEALsの皆さん、残念ながらこれが民主主義なんですよ?嫌なら殺し合いしますか?

ラジオで維新の党代表の松野さんが良いこと言ってましたよ。民主党と維新の党が野合なら自民党と公明党だって野合だろ!?と。

本当にその通りだと思います。むしろ自民・公明の方が野合っぷりで言えばタチ悪いと思いますね。

話がどんどんズレていくので、ヒャッハー(自由)について考えましょう。

我々の番組も普通に会話の中でリベラリズムやリバタリアニズム、カントやベンサムが出てくるようになってきて現代人に近づいてる感が出てきましたねw正しく使ってないですがわざとですw

リベラリズム・リバタリアニズムはまだ放送で詳しく扱っていないので、リベラリズムのジョン・ロールズさん、リバタリアニズムのロバート・ノージックさんも近々放送で取り上げたいと思います。

やっぱりまずはカントさんを極めましょう!

今まで放送でもブログでも触れてこなかった命題。「定言的道徳観」は自分で決めたことなのに、なぜ「定言的」なのか?ということ。

カントさんの言う自由とは、自然法則に従うことではなく、道徳法則に従うことである。ここまではもういいと思うんですが、この道徳法則は「定言的」であり、「法則」と言ってる通り決まっていることなんです。だけど、カントさんはこの「道徳法則」は誰かに言われたからとか、法律で決まってるからとかではなく、自らが決めたことでなくてはならないって言っています。

自ら決めたことであれば、人それぞれ正義は違うし(ドラゲナイ的な)、「俺は国会でダイブすることは道徳的だと思う」とか、ジジイの種もみを奪って何が悪いんだよとかなりかねないでしょ。っていうのが誰もが思うカントさんへの疑問なんですね。この点からカントさんを批判する哲学者は多数います。

出典

出典 あ明日・・・明日が〜〜〜・・・

しかし、カントさんは、「まぁそんな難しく考えないで普通に考えてみ」って諭してくれますw

みんなが国会でダイブしたり、種もみを奪ったり、ヒャッハーしてたらどうする?そしてあなたがそれをやられたらどう思う?と。国会は採決どころじゃなくなるし、種もみ奪われたら奪い返してまた奪い返されてとかやってたら、それこそ明日がないわけで、ヒャッハーして殺しまくって、殺しを正当化したら、あなたも殺されるんですよ。

もったいぶった割に意外にも単純ですよねw

でもこれって、帰結主義、功利主義と同じように、結果から論じてませんか?っていう疑問が浮かんできます。カントさんは結果は関係ないんでしたよね?

これをカントさんは「普遍化」って言いました。これは一言で言うと「テスト」です。

まず簡単に説明します。

例えばあなたが国会で腕組んで寝ようとしましたが、いや待てよ、これでみんな腕組んで寝たら国会成り立たねえよなって考えることは、結果から論じるためではなくて、自分が決めた道徳法則が万人に当てはまるかどうかのテストなんですね。

そしてもう一つこの普遍化の概念を理解するために、カントさんが大事にしたことがあります。それは「人間性」です。人間性とは相手や自分も含めた人格そのもののことで、人間性を究極の「目的」としろって言います。アリストテレスさんみたいですね。

つまり、自分のやろうとしてることで、相手を利用してないか考える。相手を利用していたらそれは相手の人間性、人格を否定することになるのでアウトなんです。自分がやろうとしていることが、他のすべての人の利益や状況よりも、自分の利益や状況を優遇しようとしていないか考えてください。自分の状況を優遇しようとしていれば、それはアウトです。

それが例え殺人鬼に嘘をつくことでもです。それが自分ではなく自分の友達をかばう場合であってもです。みんなが嘘をついたらどうする?ってことと、殺人鬼とは言え人格があって、それを利用すること、無下にすることになるからです。だから何が何でも「嘘」にはならないように誤解を招くような真実で詭弁を弄するわけです。

カントさんによると

私は人類、そしてすべての理性的な存在は、その都度の意思によって恣意的に使うための単なる手段としてではなく、それ自体が究極目的として存在すると考える

と言っています。難しい言葉を色々使っていますが、現代の我々の感覚からしたら当たり前のことしか言っていません。というよりもカントさんのこの考えから基本的人権の尊重などは生まれています。

誰に縛られるでもなく、自然法則、欲望、感情、偏見、経験にも逆らい、自ら考えだした道徳法則を「普遍化」することで、真に人は自由になれるんだぜ!ってことです!

そして誰もが自分で決めて、普遍化した道徳法則!≒自由!を追い求めていくと、おのずとそれは「定言的」になるわけです。全くすごいこと考えるよね。

これ初めて聞く人はしっくりこないかも知れないですけど、意外と思考実験というか妄想してみると楽しいですよw

出典

出典 深い漫画ですね・・・。

自己満足は他者満足

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瞑想から帰ってきたウジさんが珍しく良いこと言ってましたね。

「他人に施すことは究極の自己満足である」

本当にその通りだと思います。ウジさんがワンゼからTボーン大佐になって帰ってきましたw

出典

出典 趣味:人助け モットー:一日百善

自己が満足してなければ他者を満足させることもできないと思いますし、自己の全てを他者に捧げてしまうことは、ある意味自殺と同じことですよ。自己否定であり、自己矛盾です。ウジさんの言う通りそれは神にしかできないことだと思います。

放送外でウジさんが言っていた、「生きるとは何かってことを突き詰めていくと、幸せに死ねることだよね」っていうことも本当にその通りだと思う。

私もよく寝る前とか風呂入ってる時に生きるとは何かって考えます。

結局、ぐるぐる思考した挙句、毎回武士道や葉隠に行き着きます。

 

で他者に施しをすることについて、今まで出てきた西洋哲学者だったら、何て言うかな?って考えました。

まずアリストテレスさん

人間の目的は善く生きること。当然他人に施すことは善く生きるという意味で目的に近づいているし、それが自己満足のためであったとしても、コミュニティーとしての善の促進が起こる点から言っても二重丸でしょう!

次ベンサムさん

ベンサムさんの最大多数の最大幸福は全体の結果が全てです!施しをして相手の効用があなたの受ける不利益を上回ればOKですね。例えば寄付の時、あなたが100円寄付して、100円で4人の命が助かって、その4人がそれ以上の富を生み出したとしたらそれは最大多数の最大幸福に適っていると考えます。ベンサムさんは他者への施しはもちろん否定しないでしょうが「自己満足」しているか、していないかはどうでも良い訳ですね。動機は問われない。結果が全てです!

じゃあミルさん

ミルさんの功利主義は質が大事でした。施しをすることで相手の気持ちが動かされて、まさに「情けは人のためならず」で巡り巡って自分に返ってくる可能性があって、きっかけは自己満足のためかもしれないけど、それによって社会全体も良い方向に動いていくから最高じゃねーか!って感じですかね。多分ミルさんの考えがウジさや私たちと一番近いのかなって思います。

最後にカントさん。カントさんは正直ほとんど共感できないし、私と真逆の性格だからこそ惹かれるものがありますw

カントさんは動機が大事でしたね?「自己満足」が動機の時点で認めてくれません。これは道徳法則に従っていないって言うと思います。認めてほしいとか、褒めてほしいとか、自己満したいとかっていう「欲求」に従ってしまっているのであってそれは自然法則であり、道徳法則じゃないって言うと思います。じゃあどうしろって言うんだよって感じですけど、あくまでも貧しい人に施すことや、道徳的に正しいことをすることは「義務」だって言います。

前回のカントさんの説明を思い出してくださいね。「義務」って言ってもこれは人から押し付けられたものではなくて自発的に考えた道徳法則のことですよ。いやぁ実に難解ですよねカントさんはw

カントさんはこうも言っています。

利他的な人間の思いやりは「賞賛」と「奨励」に値するが「尊敬」には値しない

う〜ん厳しい。これつまりですね。人間が思いやりを持って他者と接することは悪いことではないけれど、道徳法則とは関係ないって言ってるんです。「思いやり」だったり、「優しさ」だったり、「感情」なんかと、「義務」を切り分けて考えなきゃいけないって言ってるんですね。感情と義務は違うよ〜ってことです。

サンデル教授のカントの分析が分かりやすいんで、引用させてもらいますと、こんな風に言っています

他者を助けるという行動が、単にその行動がもたらす喜びのためなら、その行動に道徳的な価値はない。

しかし他の人間を助けるのは人間の義務だと考えていて、その義務から手を差し伸べるなら、それによって得られる喜びは道徳的に不適切ということにはならない。

つまりこれって一周回って我々と同じこと言ってるんじゃないか?って思って気ました。自発的に考えた「義務」、他者に施すことを自発的に「やらなければならないことだ」と思って施せば、結果的に自己満足をしたとしてもカントさんにとって結果は関係ないわけだから、OKなんじゃないのと。

マフィさんが言ってた「徳を積む」じゃないですけど、「よっしゃ徳積も!」って言って施していけば、自分も満足、相手も満足で道徳法則にも適っていて正にTボーン状態じゃないですか!

 

ということで私もなんか悟りが開けてきたような気がします。

徳積みいこ

チリンチリン♪

ならぬことはならぬものです

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大河ドラマ八重の桜でも出てきた、会津藩の『什の教え』(教えが10個あるって意味じゃありません。武士の子供達が10人くらい集まって「什」というグループを作っていました。)

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

出典

出典 白虎隊の子供達も学んでました。あぁ白虎隊・・・泣けるぜ これ子供達が自分達で考えたんですって。

まさにカント的だなと思います。

ここに「薬物に手を出してはなりませぬ」も加えなければいけませんね。

理由をどうこう並べ立てるわけではなく、人間としてこのくらいのことできて当たり前でしょ?それともあなたは動物なんですか?って脅迫的に突きつけてくる感じ。ハラハラしますねw

出典

出典 分かるぜ!

これって、イスラム教のコーランやキリスト教の新約聖書のようなもので人間の行動を縛っているだけでいわゆる我々が思っている「自由」とは真逆のことのように思えますよね。

放送でお伝えしたようにカントさんは道徳法則に従うことで人間は「自由」になれると考えました。だからこそあんな詭弁を振り回してでも道徳法則の内側にいることが大切だと考えたんです。

なぜカントさんが道徳法則に従うことで自由になれると考えたかっていうところが一番面白いところなんですよね。

カントさんはまず動物と同じように快楽を求め、苦痛を避けようとしている時の人間は、本当の意味では自由に行動していないと言います。

我々が思っている自由はいろいろな商品がスーパーに並んでいてどれを選んでもいいし、それを適正な価格で購入できること。「選択」できること。を自由と呼んでいると思います。

しかし、カントさんに言わせればそんなものは自由ではないと。

なぜなら

そこで満たされる欲望はそもそも、自分自身が選んだものではないんです。

ああ喉乾いたぁぁ。。マジ暑い。。。自動販売機〜〜。。。あったあった。う〜ん何にしようかな〜。やっぱコーラかなぁ。。いやでもスプライトも捨てがたいなぁ。。

とかやってるのは、ただ欲望に従っているだけで、結果的にコーラを選んだとしてもそれはただの「好み」なんです。

コカコーラの自販機の広告を見て選ばされたのかもしれないし、先天的にコーラが好きだったのかもしれない。

でもカントさんにとってそれは重要ではなく、「好み」や欲望に従っている時の我々は自分で選んでいるのではなく、選ばされているんです。

ここで自律と他律という概念を考えます。

まぁ自律はいいと思うんですが、他律とは例えば私がスカイツリーから落ちてしまった時に、重力に逆らえずに急降下していく、この時私が自由に行動しているとは言えない。このような自然法則や自分で決めたこと以外の外的要因のことを言います。

例えば幼い頃のルフィがなぜそんなにトレーニングをしているのかダダンに聞かれたとして、「海賊になるためだ!」と言い、「なぜ海賊になりたいんだ?」「海賊王になるためだ!」「なぜ海賊王になりたいんだ?」「自由になるためだ!」「なぜ自由になりたいんだ?」

「肉をたくさん食うためだ!」

と答えたとしたらそれはカントさんに言わせれば自由ではない!まさに他律的に肉を食いたいという欲望に動かされているに過ぎない。ということです。

出典

出典 にーにー言ってるやつウソップの声

重力などの自然法則に従うことと同じ意味で、欲望に従っている、地球が回っていることと同じ意味で海賊王になりたいと言ってしまっているということですね。

さあこの自然法則や欲望に従わずに我々が自由になるにはどうすればいいか。

カントさんの答えは「理性」です。

自然法則や欲望や好みに逆らえるのは「理性」だけなのです。

暴飲暴食をしない、行きずりの異性とセックスしない、昼過ぎまで寝ない、

これは多くの動物にはできません。

犬が「待て」を出来るのは「理性」が働いているからなのか、こうすれば結果的に餌がもらえるということを考えるからなのかは分かりませんが、後者の場合カントさんは自律とは認めません。

カントさんも好みや欲望やに従うことが「悪いこと」だと言っているわけではありません。「自由ではない」と言ってるんです。カントさんだってうんこしますが、うんこしてる時自由だとは思わないですよね?まぁ快便の開放感はありますがw

カントさんが什の教えの最後の二つ(ものを外で食べるな、外で女と話すな)まで支持するかは分かりませんが、例えば什の教えを守ると決めたからには、「理性」に従って守り通すことで、欲望、好み、感情、偏見、利益、経験などの自然法則に逆らって自由に意思決定ができるようになると言っているわけです。

番組で紹介したネクタイのやり取りや、私が先輩からの飲みの誘いを断る理由も完全なる詭弁ですが、それを「良い」と言っているわけではなく、この自律の概念、「自分で決めた道徳法則」の内側にいるということが大事だよと言っているんですね。

この自分で決めたというのが一番大事なんですが、カントさんの分かりにくいところは、ここなんですよね。

自分で決めたっていうことであればそれぞれ好きなように道徳観を持っていいことになり、ベンサムさんのおはじきだろうがポケモンだろうが何でもいいじゃんって考えと一緒じゃね?って思ってしまうんですよね。

しかしカントさんは道徳法則は定言的に決まっているという。どういうことだ?

この辺りはまた追々取り上げていきます。

今回は何となくカントさんが考える自由、自律、他律の概念をお分かりいただければ嬉しいです。

最後に我々が思っている「自由」が本当に正義なのか

什の教えの逆バージョンを見てみましょうw

一、年長者の言ふことなんか聞かなくても構いませぬ
一、年長者には中指を立てても構いませぬ
一、嘘言をついても構いませぬ
一、卑怯な振舞をしても構いませぬ
一、弱い者をいぢめても構いませぬ
一、外で覚せい剤やろうが何しようが構いませぬ
一、野外だろうが人前だろうがセックスしても構いませぬ  

ならぬことなどありませぬ

って感じですかねw。

男も女も関係ない、フリーセックスで取っ替え引っ替え、売春OK、大麻もOKは本当に自由なんですかね?と考えさせられますね。

 

まとめきれなかったアリストテレスさん

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ブログを書くのは大変な時もありますが、内容がグダッた時に言い訳できるのでその点ではありがたいですねw

アリストテレスさんの話しまとめきれずに申し訳ございません。。

放送を聴き直していくつかフォローしたい点があリました。

アリストテレスさんが「目的」テロスに注目するんだよってことは御理解いただけたかと思うんですが、政治的共同体の目的、国家やポリスの目的は「善の促進」にあるとお話ししましたが、この善の促進の説明を全くせずに終わってしまいました。。。

なぜ善の促進なのか。

それは人間の存在理由というか「人間の目的」にもかかわっているんですね。

人間と他の動物の違いは何か。

それは言語能力を持っていて、善、悪、正、不正を見極められることだと。

言語能力があるということは人の本質は話し合ったり議論をすることであり、善を好み悪を憎むのが本質であると。議論もせず、悪を好む(ハイエナのように肉を横取りするとか)のは動物と変わんないぜよと。

つまり議論をして善を追い求めることが人間の本質であり、人々が集まって作った共同体の目的は、人間1人では考えもつかないような善の「促進」にあるってことです。

これもトンデル流の解釈を加えてますが、大筋間違ってないと思いますw

もう一つ目的論的論法を説明したくて、ロトの剣を出しましたが、余計ややこしくなっただけでしたw

本当はアリストテレスさんは笛を配るとしよう。っていう議論をしていきます。

その中の最も良い笛を配るとすれば、それは最も良い奏者に配るべきですよっていうんです。

それは笛の目的がコレクションとして棚に飾られるためでもなく、オークションで転売されるためでもなく、「演奏されるために」存在するからですよね。

サンデル教授が例として挙げていたのは、ムッシュプーことプーさんの絵本の話でしたw

プーさんが大きな樹の下で休んでいると、上の方からブンブンと音がしました。そこでムッシュは何でこんなにブンブン鳴ってるんだろうと考えました。こんなにブンブン鳴っているってことは何か意味があるに違いない。僕が知る限りブンブンさせるのはミツバチさんだ。ミツバチさんがブンブンさせてるのは僕が知る限りハチミツを作っているからだ。ハチミツを作っているのは僕が知る限り、僕が食べるためだ!

って言ってミツバチの巣を襲撃するんですよねw

出典

出典 ムッシュ!発想が残虐ですw

何となく、アリストテレスさんのエッセンスをお分かりいただけると嬉しいんですが、プーさんの例とか、豚は人間に食べられるために存在するとか、やっぱり現代の我々からするとちょっと危険な匂いがするというか、ちょっと幼稚な考えにも思えてなりませんよね

このアリストテレスさんの考えからどうやって西洋哲学が脱却していくかっていうことを次回以降取り上げていきたいと思います!

 

ムスカでなくムヒカさんからエピクロスを考えてみましょうか

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ムヒカさんのお話し良かったんですが・・・

ケイタローくんの抑揚0の棒読みで頭に入ってこない方も多かったのではないでしょうかw

出典

出典 ホセ・ムヒカさん めっちゃいい顔

まずはケイタローくんの棒読みを聞いていて古代ギリシャのエピクロスという方の哲学を思い出しました。

出典

出典 エピクロスさん

何か似たようなことを言っていた人いたよな〜って

われにパンと水さえあれば、神と幸福を競うことができる 引用

うん似てる

エピクロスさんは幸福とは何かを考えていった結果、それは「快楽」であると考えたんです。

ベンサムさんの功利主義にも似てるように思えますが、実は現在の我々が考えている「快楽」とは質が違うんです。

細かい説明は省きますが、ちゃんと良いこと(善)を行った上での快楽が真の快楽なんだよって言っています。

そして食欲のような本能的な快楽は、「やべえ腹減った・・・死にそう。。。3日も食ってねぇ」っていう時にパンを一切れもらえればそれはもうこの世のものとは思えないほどの快楽でしょ!?

と言っていて、だから本当の本当に最低限で十分で、逆にそれ以上食っちゃうと「快楽」ではなくなってしまうと言っています。

出典

出典 キヌエにパンw 一回目は笑ったw

すげー分かる。

エピクロスさんは少しのパンと水と家と数人の仲間がいれば十分だって言っていました。

でムヒカさんの話し

なんかこの話だけを聞くといい話だったなぁで終わってしまいそうなんで、素直でない私があえて斜め35度から切り込んでみようかと思ったんですが・・・

調べれば調べるほど、めっちゃ共感出来る!!

もう私はムヒカファンになってしまいました

時間がある人はこの動画を見てみて下さい。

著作権に触れそうですけどあえて載せますw

YouTube Preview Image

 

見終わったころにはみんなで

「ムヒカ!ムヒカ!」と叫んでいることでしょうw

まさにプラトンの言う「哲人統治」や孔子の「徳治」を体現されている方だと思います。

ムヒカさんは極左ゲリラ活動も行なっていた方なんで、もちろん共産主義に傾倒されていたんだと思います。(共産主義がシステムとして怖いことは放送でお伝えした通りです。独裁になってしまい計画が間違っているととんでもないことになると。でも計画が真の意味で国民のためになることだったら?それが「徳治」であり「哲人統治」です。単純化しすぎですが…)

しかし言っていることは極右の代表格のように言われている三島由紀夫さんと同じではないですか。

日本人はアメリカに魂を売ってしまって今やだたの「エコノミックアニマル」に成り下がっていると

出典

出典 三島由紀夫さん 作家 市ヶ谷の駐屯地で自衛隊にクーデターを呼びかけ最後には割腹自殺された方ですね

どちらも命がけで訴えているので、響くものがあるのでしょうね。

チェ・ゲバラやフィデル・カストロもそうですよね。

三島さんが割腹されたのが1970年なので、ここから三島さんの予言通りバブル景気に湧いて何も考えずに消費消費消費消費の世の中になっていってそれが見事に崩壊して現在に至るわけですよね。

「足るを知る」

いい言葉ですね。実に日本的。

・・・散々経済の話しをしておいて、どんだけデフレマインドなんだって突っ込まれそうですが、そういうことではありません。

どうしても今の世の中のシステムとしては経済成長は必要なんです。

これはウルグアイも同じです。

ここを否定してしまうと、餓死者、自殺者が出ます。

実際にムヒカさんの時にウルグアイがどんな状況だったのかも分かりませんし、問題がなかった訳ではないでしょう。

私は消費するモノが何かが問題な気がしています。

魂を磨けるようなモノにお金を使いたいですね。

ということで、とりあえずケイタローくんは月10万円で暮らしてもらって残りは慈善事業に寄付するので私に下さい。

オランダのリベラリズム???免許をセクロスで取れる国

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年の瀬も押し迫ってきてすっかりクリスマスモードから年末モードに変わりましたね。

今週は年末のバタバタでなかなか全員揃うことができないため、初めてお休みをいただくこととなりました。

楽しみにしていただいた方申し訳ありません。

とりあえず気休めにブログだけでも更新しますw

そして年末とは全く関係がないんですが、少し前の放送でケイタローくんがHIVの話しをしましたが、その中でオランダはまさに「フリーセックス」の国ですとお話ししましたが・・・

つい先日すごいニュースが入ってきましたね。

オランダで運転免許取得レッスンの授業料を「体」で支払うことが許可される!

・・・あかんと思う。。

リンクの記事にもあるように、オランダでは売春は登録制になっていて、登録した人は様々な物やサービスの対価を「体」で支払えるようになるってことなんだろうけど、例えば教習所の教官に「体で払うわ」って言ったら教官側にも選ぶ権利があるわけだから「お前は金で払え。鏡見てから言え。」とか言うひどい展開にならないものなのだろうかとフェミニストの私は思うわけです。。

オランダは正に自由の国で、売春だけでなく、マリファナだったり、同性婚や安楽死も認められている国です。

法律でガチガチに固めて禁止してしまえば必ず闇に隠れてしまうので、あえて合法化していて、そうすることで税金も堂々と取れるし、売春も月1回の健康診断を義務付けて健康管理もしているらしいのでケイタローくんが言ってた通りHIVや性病のリスクも逆に低くなっているんでしょうね。

正にリベラル(革新的)な国ですね。

ここから無理やり哲学の話に持っていきますw

共産主義の話しでフリーセックスとかって言ってしまったんで、共産主義とリベラリズムを混同しそうですが、これは明確に違います。

そして日本では左翼のことを俗称としてリベラルとか言うだけなので、哲学で言うリベラリズムとも違います。

少し前に載せたリベラリズムとリバタリアニズムの説明もよく考えたら全く間違ってましたので、訂正しておきました。間違えてばかりですみません。。

リベラリズムの有名な政治哲学者はジョン・ロールズさんです。

出典

出典 写真が小さい・・・

ジョン・スチュアート・ミルさんに続き2人目のジョンさんですね。

このロールズさんの「正義論」という本を書いたことでリベラリズムの政治哲学が確立しました。

ロールズさんはミルさんやベンサムさんの功利主義を批判してリベラリズムの議論を展開していきます。

ベンサムさんの功利主義では「最大多数の最大幸福」が実現されればOKってことでしたね。幸福は数値化できると。

そしてミルさんはそうは言っても「幸福の質」も大事でしょ?って言っていましたね。

これに対してロールズさんは、いやでも・・・最大多数の最大幸福だと、社会全体の幸福の平均値が10あったとしても、100の幸福を感じている人が数人で、残りの多くの人が1だったり中には0の人がいるのは不公正じゃないか!?と考えました。

結局これってベンサムさんが生まれた当時のイギリスの社会状況と同じようなことになりかねない訳ですよね。

100人の貴族のために10万人の民が犠牲になることが正義かってやつですね。

そこでロールズさんは

「無知のヴェール」っていうことを考えました!

人がポツンと生まれ落ちた時に自分は何者か分からなし、誰から生まれてくるかも選べない訳ですよね?

親が裕福な家庭もあれば貧乏な家庭もある。

バットを振るのが上手い人の元に生まれれば才能が遺伝するかもしれない。

戦争中の国に生まれて明日飲む水にすら困るかもしれない。

言論の自由や渡航の自由がない社会かもしれない。

そんな「無知のヴェール」にみんな覆われているんだと。(というかそう仮定しましょうと)

そうであれば誰もが幸福度が1や0は嫌ですよね?そうならないようにしたいと考えますよね?

ということで社会全体の幸福の平均値を上げるのではなくて、福祉政策を積極的に行って、人々の自由を担保して「最も貧しく恵まれない人々の効用をこそ最大化しなければならない」と言っています。

私も正義論を読んだわけでもなく、サンデル教授に教わった知識しかないのですが、この年末年始の休みを利用して読んでみようかと思っています。

が。。。

高い。。。

図書館で探そうかな。。。図書館やってんのかな。。。

 

そしてこのロールズさんの議論を批判してサンデル教授のコミュニタリアリズムというのが出てくるのですがこれは追々。(というか興味のある方はサンデル教授の動画か本を見てもらった方が早いです・・・)

オランダもロールズさんのリベラリズム的な思想に近いんだとは思いますが、あまりにもリベラルw

ちなみにオランダも日本の慰安婦問題に対して文句を言ってる国の一つなんですが、、、、

こんな国に言われたくねーよw

慰安婦問題は次回取り上げます!私は怒っています!

あ、全然関係ないですが、「オランダ」っていうのは本当は地方の名前なんです。

本当はネーデルランドなんですが、江戸時代かなんかに日本にオランダ人が来た時に私はオランダ人ですって言ったから日本では国名をオランダと呼ぶようになってしまったんですよね。(うろ覚え)

海外に行って私は大阪人ですって言ったら日本が大阪と呼ばれるようになったって感じですね。(なんかやだw)

No.11 サンタは女性蔑視なのか?消費税と疑惑のダーウィン!?

crohusamunesaisinnPodcast配信第11回目です!

ウジさんは

クリスマス前に何としてもクリスマスの話をしたかったようですw

トモキの自論毒論糞暴論では

またまた経済の話です。消費税の議論がおかしくておかしくて震える

マフィのアニマル観察日記では

進化論の仕上げに取り掛かりますが最後しめられずグダグダしますw

仕上げは結局にウジさんに丸投げw

ブログにも放送の中で取り上げた動物の画像や様々なリンク等を貼っておきますので、是非遊びにきて下さい!  

ブログ http://cromagnon.wp-x.jp

メール   crohuu@gmail.com

また、皆さんのコメントやメール等もお待ちしております。 番組内で取り上げさせていただきますので、ドシドシお寄せ下さい。 宜しくお願いいたします。

シャンプーの話し

まだPodcastをお聞きでない方はこちらからcropped-crohusamunesaisinn1.jpg

第10回放送の補足です;

忘れてました・・・

散々ウジさんが引っ張ったシャンプーの話し

放送で幾つか出てきたシャンプー

オススメらしいので上げておきますね

私は未だにこれを使ってます;

 

次にウジさんが使ってるのは有名なツバキ

日本の女性は美しい!

 

市販の中ではこれが良いらしいです

いち髪 意外と安い!

 

そして普通の店舗では売っていない

是非保育士さんに使っていただきたい!

ザクロ精炭酸!

 

何が良いのかは良く分かりませんが

これもついでにオススメらしいですね

 

ということで以上がオススメのシャンプーらしいですね・・・

だがしかし

私の言いたい病が発症してしまいましたw

ウジさんも信じるか信じないかは皆さん次第と言ってくれたのですごく良かったんですが、正直個人的にはシャンプーなんてなんでも良いと思っていますw(議論をひっくり返してすいませんw)

まぁきっと高いものは良い成分とか使ってるんでしょう。

そして安いものは良からぬものも入っているんでしょう。

でもスーパーマイルドみたいに安くて髪を清潔(少なくとも汚くはないレベル)になるものを開発してくれたから、誰もが手に入られて簡単に髪を洗えるようになって、感染症もなくてシラミもいない世の中になった訳じゃないですか。

プロの方が良いものにこだわるのは当たり前だし、それがお仕事だと思うので全く構わないんですが。

我々のような素人が「嫁シャン」使うなとか、髪に悪いから安い物はどうのこうのとか言うのは、ただメーカーさんの戦略に乗っかっているだけだと素直ではない私は思うわけですw

いつも極端で申し訳ないんですけど、アフリカの子供たちが石鹸で髪洗ってるの見て「やめろ!髪がチリチリになるぞ!」とでも言うのでしょうか?

ケイタローさんが言ってた加工食品とかもそうですけど、体に悪いものが入っているんでしょうが、安く手に入ってそれなりに栄養を取れて、それなりに清潔に保てて、それで十分じゃないですか?

と世の中の風潮に反発したくなるのは、私だけでしょうか。

デフレ対策のために高いもの買えとか言っといて、完全に自分がデフレマインドですねw

もちろん良いものは良いですし価格なりの価値があります!

安物買いの銭失いって言葉もありますしね

私も職人さんがこだわって作っているモノとか、メーカーの魂がこもっている商品とかは大好きだし、いくら出しても良いと思っているんですが、

シャンプーは・・・なんでも良くねと思ってしまうわけです。

まぁ人それぞれ嗜好が違うので、ベンサムさんの言うようにシャンプーで効用を得られる人もいれば、こだわりの家具とかで効用を得られる人もいるということで、終わりどころが分からなくなったので以上にしますw